監督という仕事

普段仕事をしていてよく考えること。監督という仕事に関してである。

 

仕事はチームで取り組むものだ(大抵の場合)。チームには目標があり、それは選定の獲得であったり売上目標であったりする。その上位にあるのが目的であり、それは仕事の場合、会社のフィロソフィーであったりする(業界No1として、社会の発展に貢献する など)

 

スポーツを例にとると分かりやすい。今盛り上がっているラクビー。2015年W杯でキャプテンを務められた廣瀬俊朗さんは、何のために(目的)勝つ(目標)のかがはっきりしているチームが強いとおっしゃっていた。

 

では、監督の仕事とは何であろうか。私の中の結論は「チームの目標達成の可能性を高めること」である。これをさらにブレークダウンすると以下になると考える。

  1. 目標を決めること。(これは目的に沿ったものであることが前提)
  2. 目標達成のために必要なリソース配置を決めること(戦術)
  3. 配置したリソースが最大限の成果を出せるように仕向けること

1は例えば、ヨーロッパのサッカーリーグの監督なら、リーグ優勝なのか、CL出場権なのか、残留なのかを決めることである。現有戦力を有効に活用すれば、結果どこを目指すことができるか?を感覚的、経験的に決めることができる能力である。監督というものは、結果にコミットするものであるから、この目標設定が最も重要になると考える。

この目標は常に達成可能なラインからややストレッチ設定することが重要だと思う。

 

2に長けた監督はいわゆる戦術家と呼ばれるタイプだ。チームの誰をどこに配置すれば相手に勝てるのか、目標を達成できるのか。この引き出しをどれだけ持っているか?である。人を見る力、相手を分析する力が必要だ。チームの強みを活かし、弱みを補う戦術が理想的である。

 

3に長けた監督はいわゆるモチベーターである。モチベーターに偏ったタイプの監督はいわゆる強者の戦い方ができるチームに向いている。チーム戦術が確立されていれば、各個人の能力を最大限発揮すればかなりの勝率が出るはずだからである。近年ではレアルマドリードのジダン監督などはこのタイプになるのではないかと思う。

 

上記をバランスよく持っているのが、よい監督と言える。最近ではリバプールのクロップ監督がこれにあたると思う。ゲーゲンプレスという独自戦術を導入し、システムに見合った選手を配置し、モチベーションを最大限に高めている。結果としてCL優勝を成し遂げた。またソフトバンクホークスの工藤監督あたりも素晴らしいと思う。ベテランと若手にうまく居場所を与え、大胆な采配で力を発揮させ、アフターフォローも怠らないから、選手もモチベーションを落とさない。ホークスの場合は、孫さん、王会長の球団経営(選手の評価や年俸、育成)も含めてうまくいっている好例である。

 

監督というのは自分の力量や人間性も知っておかないといけない。いかに戦術をこねくり回しても、選手たちのモチベーションが上がらなければ厳しい勝負の世界では勝てない。この場合、監督の方針をチームに落とし込み、チーム内を調和して士気を高める優秀なキャプテンを配置しないといけない。

モチベータータイプの監督ならば、優秀な分析家やHCを雇い、戦術的な不備を補う必要がある。

あくまで監督というのは結果にコミットするものであり、そのために己を知り適切な体制を構築する必要があるのだ。ここが重要で、勝ちや目標達成にこだわれない監督は適正がないと言える。

 

最近の悪例はジュビロ磐田の名波監督であると思う。筆者は名波さんの大ファンである。名波さんのようなレジェンドがジュビロに戻ると聞いたときはとてもうれしかった。2015-2017年はうまくいった。これは、目指すサッカーの方向性と選手のモチベーションがよい方向のベクトルを向いていたからだと思う。しかし、戦術の大きな部分を特定選手の個の能力に頼りすぎた。ジェイであり、中村俊輔のような象徴的な選手を中心に戦術を組んだため、彼らがフル稼働したときは結果が出たが、移籍やケガで抜けたときは異なるサッカーをせざるを得なかった。この異なるサッカーというのが、相手に勝つまでのクオリティになっていなかったのが凋落の要因だと考える。つまり、戦術に幅がなかったのだ。名波さんは誰もが認める優秀なモチベーターであり、その点ではカリスマ性も合わせJリーグ有数だと思う。名波さんに必要だったのは、勝ちへのこだわりと、戦術の幅をもたらす優秀な分析家、HCだったと思う。辞任という結果はとても残念だった。

 

名波さんはマンチェスターUのファーガソン監督のように長期政権を目指すと言っていた。チームのレジェンドでもあるし、素晴らしいビジョンだと感じたが、実際監督という職業は渡り鳥のように、いろんなチームを率いた方が幅は広がるように思う。ただし、どこに行っても目標達成をコミットし続けないといけない。2回も3回も失敗をくり返すようだと、世間的には良い監督とはなれないであろう。

ファーガソン監督やアーセナルのベンゲル監督は、ある意味チーム運営(経営)の部分にまで入り込み、チームのすべてを掌握していた。だからこその長期政権だと思う。

 

仕事に置き換えてみよう。

もし、将来優秀な監督(マネージャー)になりたいと考えるならば、下記が重要だ。

・どんな環境であっても目標達成にこだわる。達成のためなら軋轢をいとわない。

・自分に真摯に向き合い、足りない部分は適切に補完する姿勢をもつ

・そのうえで、先に述べた3つの仕事を確実に実行できる。

 

これらを意識して、名監督を目指してみてはいかがだろうか?

人を動かし、パッションにあふれ、結果を出す人はやはり、かっこいい。

 

 

マイ ニューヨークシティー

 

田舎もんがニューヨークの記事を書くことを最初に謝罪する。

 

自由の女神、タイムズスクエア、ウォールストリート、ブルックリンブリッジ、ハーレム...

皆さんが思い浮かべるニューヨークはどのような風景だろうか?

アメリカ駐在中、たびたび出かけたこの世界都市の魅力をミーハーな田舎者視点でお届けしたいと思う。

 

旅の出発点はグランドセントラル駅。ホームに下りた瞬間にエセニューヨーカーのスイッチが入る。人混みをかきわけ、迷わずに駅直結のオイスターバーへ。ここで、新鮮なオイスターと白ワインに舌鼓を打ち、腹ごしらえを完了する。

Grand Central Oyster Bar

このオイスターバー、「課長 島耕作」でNYCに赴任した島耕作が同僚とランチした店だ。有名店だが、そこを外さないのがミーハーである。ちなみにアイリーンとの出会いをこの時点ではまだ期待している自分がいる。(詳しくない方は、ごめんなさい)

 

そのまま地下鉄に乗り込み、ワシントンスクエアパークへ。

https://www.nycgovparks.org/parks/washington-square-park

生粋のニューヨーカーたちがそこらでチェスに興じている。いかにもチェスがわかる風に横目で見ながら、西海岸から伝搬した新風のローストコーヒーを片手に通り抜ける。

お金と時間の許す方はグリニッチブリッジの名門ジャズクラブ、ブルーノートをおすすめする。筆者はここで、Hiromi Ueharaの生演奏を聴き、ピアノジャズの虜になった。

Blue Note Jazz Club New York

 

ソーホー界隈を散歩した後、地下鉄に乗り込みさらにロウアーマンハッタンへ。世界貿易センター跡地で平和への祈りを捧げ、ウォールストリートで世界経済の行く末を案じる。ブルックリンブリッジを徒歩で渡り、意味もなく往復する。考えるな、感じろ というやつだ。この辺りの”軽さ”がミーハー流だ。

 

日も暮れ始め、摩天楼に斜陽がにじむ。

腹ごしらえに向かうは有名ステーキハウス、ウルフギャングス。後の散歩プランも考え、タイムズスクエア近くの店をチョイスした。血のしたたるレア肉も最高だが、肉厚なベーコンもおすすめだ。

Wolfgang’s Steakhouse – by Wolfgang Zwiener

世界のへそタイムズスクエアで一生分のネオンを浴びたら、ボディペイントのクレイジーレディを横目に、イエローキャブを捕まえてアッパーイースト方面に向かう。

あえてホテルは取らず、バックパッカーでにぎわうセントラルパーク横のユースホステルに潜り込む。イタリアから旅行中のカップルとかたことの英語で談笑したあと、二段ベットが4つ並ぶ8人部屋で眠りこける。警戒感から、リュックを抱え込む。なんとも言えないにおいが、部屋に充満している。

 

4時間くらいの睡眠がとれ、眠い目をこすりながら起床。

外に出て深呼吸、ここがNYであることを実感。その後、目と鼻の先のセントラルパークで1時間ほどジョギング。そしてセントラルパーク脇にあるパンケーキやで失ったカロリーを取り戻し、コーヒーを片手にユースホステルに戻る。

 

さて今日は何をしようか。

気の向くままに向かうは、5番街。トランプタワーを横目に風を切るように進む。有名店を一通りウィンドウショッピングしているとまたまた腹が減ってきた。

 

こんなときはあれしかない。向かった先は6Ave 53 st。屋台にすでにひとだかりができている。ここで、中東風のハラル飯を購入。これが抜群にうまい!エキゾチックな風味と激辛ソースがなんとも言えない。ペプシコーラで流し込み、ゲップを一発(失礼)。The Halal Guys WEST 53 ST. & 6 AVE. (SOUTHEAST CORNER) - シアター・ディストリクト/西アジア料理(その他) [食べログ]

 

そろそろ、ミーハー旅の終わりが近づいてきた。

終着点のグランドセントラル駅に移動。グランドセントラルの正面から2区画くらい歩いたところに佇むバーバーショップに忍び込む。ファイトクラブのブラピの写真を見せ、要望を告げる。いかしたおっさんがバリカンを当てながら、キンキンに冷えたビールを出してくれる。これがまた、最高だ。

http://oldetymebarbers.com/index.html

 

グランドセントラルに徒歩で戻り、切符を購入。White Plainsまで、50分か。電車に乗って早々、黒人、白人、ヒスパニックが入り混じる車内でNYCを感じながらウトウト。。。

 

ニューヨークはとりわけ秋が素晴らしい。I miss beautiful autumn in New York.

f:id:Tyler_T:20190918112120j:image

 

 

 

 

 

男の子の父親、女の子の父親

先日娘が生まれ、はじめて女の子の父親になりました。

 

娘は特別だよ、といろんな人に言われましたが、素直にその気持ちがわかりました。

守りたい」「嫁にやりたくない(パパと結婚するといわせたい)」「臭いと言われたくない」まさにそれです。

毎日少しずつ顔が変わっていくのを見て、これからの成長がほんとに楽しみです!

 

息子が生まれたときともまた違う気持ちでした。

もちろん子供が生まれることは無条件にうれしいのですが、息子のときは「強い男になってほしい」「自分を超えてほしい」と願う反面、半分嫁さんを奪われたような気持ちにもなりました。。。

 

娘が生まれることで、息子はお兄ちゃんの自覚も生まれてきているようで、これから我が家では四角関係がどろどろになること必至です。

 

息子にも娘にも共通して願うことは、しっかりと自分の人生を生きていくこと、です。

こっちに行け、とレールを敷くことはしません。よきサポーターでありたいと思います。

 

2人とも、我が家に生まれてきてくれてありがとう。

 

野望を持つということ

皆さんは野望を持った経験はありますか?

「野望」:身のほどを超えた大きな望み。

 

私は野望をエネルギーにこれまで生きてきました。

何もない田舎で生まれ、父親は町役場勤務、母親は保育士という平凡な家庭で育ちました。小・中・高とサッカーに熱中し、それなりに楽しくやっていました。でも何か物足りない、ふつふつとしたものを感じる。そんな青春時代でした。

 

頭の中には常に忘れられない光景がありました。中学1年のときに家族で旅行した東京、特に「渋谷のスクランブル交差点」の光景です。同じ年齢くらいの子供が、おしゃれをして闊歩している姿を見て、田舎もんの私は大変な衝撃を受けました。それ以来、私は性格まで変わりました。それまでは元気に走り回る田舎の子どもだったのに、昼休みに外で遊ぶのもばからしくなり、変にクールぶり都会っ子を装うようになったのです(なんかずれてますねw)

 

 

そのときに芽生えた最初の野望が「東京にいき、ビッグになること」でした。我ながら恥ずかしいくらい単純ですね~。

そして、高校でケガをきっかけにサッカーをやめ、人生を見つめ直し、東京の大学を受験しました。上京が決まったときの興奮はいまだに忘れられません。

 

いざ東京に来ると、ほんとに大変なことばかりでした。家賃4万円のボロアパート。学業とバイトで日々生活に必死で、接客のバイトでなまりが抜けず苦労しました。。でも楽しかった。俺は野望に近づいている、という実感がありました。そして、迷わず東京に本社のある企業を受験し、内定を得ました。

 

そして私は次の野望を見つけることになります。バイトで貯めまくったなけなしのお金で、アメリカに短期留学をしたのです。最初は卒業旅行も兼ねた意味合いで、思い出づくりに、という程度の考えでした。しかし、西海岸の抜けるような青空、開放的な空気、人々のオープンなマインドに完全に魅了されてしまいました(この辺がミーハーなんです)。このとき、私の次の野望は「アメリカでビッグな仕事をすること」になりました。はい、あほですね!

 

就職した先は、幸いにもグローバルに展開している企業でした。いつかはアメリカに行くチャンスもあるだろう、40歳くらいまでに行けたらなあ。と思っていました。若手の駐在先としてはどちらかというとアジアがメインで、アメリカはそれなりの経験が必要というのが慣例だったのです。入社して5年で、エンジニアやマーケティングの仕事を経験し、プライベートでは結婚もしました。東京で大きな仕事をするという夢は、ある程度現実になっていました。そして6年目に入ったある日、上司に突然言われた言葉に衝撃が走りました。「アメリカの東海岸に行ってもらう」

 

駐在先はマンハッタンから車で3時間程度の都市でしたが、初めてタイムズスクエアに行ったときの感動は忘れられません。駐在中はNYCをはじめ、いろいろな場所をめぐり、改めてアメリカの大きさと「人種のサラダボウル」を肌で感じました。その後、オレゴン州ポートランドにも駐在し、アメリカ駐在は計5年に及びました。仕事もそれなりに充実し、「アメリカでビッグな仕事をする」という野望はかなえられました。

 

振り返ってみると、自分は馬鹿がつくほど単純だなと思います。単純ゆえに強いあこがれをいただき、一途にいつかはかなうと信じてきました。それは田舎もんの一番の強みなのかもしれません。

また、ある法則性を見つけました。私は12歳のときに東京を見て、6年後の18歳で上京。22歳のときにアメリカを見て、その6年後の28歳でアメリカへ。だいたい、2のつく歳で野望を見つけ、6年でそこに到達し、10年おきに新たな野望を見つけているのです。あほだと思われるかもしれませんが、強くその法則を信じています。

 

この記事で伝えたいこと、それは「野望を持つことのメリット」です。野望は生きるエネルギーになり、信じれば信じるほど実現に近づきます。これは巷によく言われている「引き寄せの法則」なのだと思います。ぜひ皆さんにも野望をもって、夢を実現させてほしいと願います。

 

ちなみに、法則によると私は32歳で次の野望を見つけたことになります。(いま34歳です)。その野望は明かせませんが、38歳になるころ叶っていると信じています。

 

お読みいただき、ありがとうござました。

 

海外での出産・子育てに思うこと

2人の子供たちはともに海外で生まれました。田舎で生まれ育った自分と比べると、純粋にうらやましく思います。

 

長男はアメリカで生まれました。NY州の田舎町で、マイナス20Cにもなる厳しい冬を控えた中での出産でした。外出時に3重に毛布でくるんでいたことを昨日のことのように思い出します。長女は残暑厳しい9月に台湾で生まれました。つい先日のことです。

 

日本での出産立ち合い・育児経験はないわけですが、海外で一番思うことは父親のかかわり方の違いです。日本では、依然として出産時に旦那が仕事で忙しく里帰り出産を選択する方や、出産後にワンオペ育児になってしまう方が多いと聞きます。

 

海外では考え方がまったく違っており、出産に立ち会わない父親はあまり聞きません。台湾では妻の出産時、5日の休暇が義務づけられているほどで、この間病院につきっきりで、妻の下のお世話をしたりします。また、出産を終えたお母さんは退院後は産後施設に入り、1か月程度療養し体を回復させるのが普通です。その間、家事や(他の子供がいる場合)子育ては父親の仕事です。アメリカの同僚は、仕事をしていても明るいうちには帰宅し、1日3時間程度は育児を行っていました。

 

30代にもなると仕事の責任も増え、育児どころじゃない、というのも現実だと思います(もちろん、その中で頑張って育児もされている方はいらっしゃると思います)。かくいう私も、仕事を言い訳にしてしまうタイプでした。しかし、海外の考え方を経験をしたことで、

「仕事は自分がいなくても回る」

「子供の一瞬一瞬はそのときしかない」

というマインドに徐々に変わってきています。(いまだに葛藤することはありますが)

 

子供は10歳にもなれば自立して親を頼らなくなります。その10年間はほんとに貴重ですし、10歳までにどのように育てるかはある意味仕事以上にやりがいのあるプロジェクトです。子育てに関わることで、仕事にフィードバックできることもあると思います。

 

仕事はある意味中毒性があります。完璧にやろうと思うときりがないし、周りにバリバリやっている同僚がいると焦りも感じます。夜の付き合いを断ることで、人間関係の不安も感じるでしょう。こういうことは考え出すときりがないので、まずは行動してみることがおすすめです。その中で、この辺でいいだろうという落とし所が何となく見えてきて、少しづつ楽になります。大事なのはブレないことです

 

いまは子供を持つかどうか(結婚するかどうか)も自由な時代です。考え方は人それぞれだと思います。少子化を理由に子供を持たない選択を責めるのは、押し付けだと思います。

 

うちの場合は、結婚したときにお互いに子供が欲しかったのですが、なかなか子供に恵まれず、その後体外受精に踏み切り、2人を授かることができました。経済的にも決して楽ではなかったですが、投資したからこそしっかりしなければという思いです。何を優先しようと、自分の中で腹落ちしていることが重要ですね。

 

いざ子供を持つまでは、自分の中でも考え方は整理されていませんでした。仕事に対しての自信もなかったですし。でも結局は自分の中で葛藤して、答えを見つけるしかないのだとわかりました。きっかけを与えてくれた、海外での経験は本当に貴重なものでした。

 

それでも、仕事で失敗した、大きな受注を逃した、上司に嫌われたかも。。そのたびに自分を責めてしまうのが人間だと思います。私は毎朝、3歳の息子の手を引いて幼児園に送るときに自分に言い聞かせるようにしています。「これでいいのだ」と。

 

同じ気持ちで葛藤されているすべての方を応援いたします。

ブログはじめてみました

はじめまして。たいらーと申します。

 

ブログはじめてみました。

きっかけは2人目の子供が生まれたことです。待望の娘(1人目は男の子でした)を抱っこしたとき、これまでの人生から何かを変えるときだ、と直感的に思いました。

 

これまでの人生は幸せでした。生まれて18年間何もない田舎で育ちました。ぎらぎらした野望をもって東京へ。大学卒業後入社した会社で、大きなお金を動かす仕事や海外駐在を経験させていただき、また結婚や子供にも恵まれました。山に囲まれた実家で窓から外を眺めて野望を燃やしたあのころを思うと、今の状況はアンビリーバボーです。

 

そして娘を抱っこしたとき、その至福の中で、自分の人生の旅の第一章を終えたような感覚になりました。これまでは、自分の野望に忠実に生きてきた。でもこれからは、夫として、2児の父親として、会社の10年選手として、わずかでも周囲に価値のある人間を目指していこうと決めました。

 

で、思い立ったのがブログというわけです。安直ですよね。。

なんの取り柄もない自分に何ができるかは分かりません。でもこれまでの経験や、これから待ち受ける日々の出来事をつづってく中で、少しでも読まれた方のお役に立てるような記事が書けるように、成長していければと思います。

 

特に書きたいジャンルは特定しませんが、いろんな場所に住んだ経験や子育てのことを中心に「ミーハーな田舎者」の視点でつづっていきたらと思っています。

 

飽き性の自分がどこまで続けられるのやら。。?よろしくお願いいたします!